サンカンタン出産物語〜プロローグ〜

しばらくの間、休んでいてすみませんでした。
また再開します。

《まえがき》
この物語は私の妻が2人目の子供をフランス
のサンカンタン市で出産した際に起こった出
来事を綴った妻と私と真央の家族の絆を描い
た真実の愛の物語です。


《プロローグ》
今は1997年4月22日夜の10時半です。

テレビのスイッチをつけるとペルーの日本人
大使館官邸人質事件の終焉の模様が放映さ
れていました。

それはまるで長かった私たちの60日間の戦
いの終わりを告げたのと同じように。

私は1人、部屋でグラスに注いだビールを
を飲み干すとその出来事を安堵の気持ちで
振り返ったのでした・・。

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始まりは突然やってきた

2月10日、7ヶ月目の妊娠の定期健診に主治医の
ボワイエ先生を訪ねました。

妻を病院に連れて行くのが私の役目です。

そして検査も終わり、待合室で真央と待っていた私
たちは診察室に呼ばれました。

いつもは「チュ・ヴァ・ビアン(順調ですよ)」と言って
笑顔で終えるボワイエ先生がこの日ばかりはなにか
険しい表情をしていました。

「どうしたのだろう?」

私は少し不安になり先生の顔を見つめていました。

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孤独な日々

「どうしてこんなことに?」私は茫然としながら
帰りの車の中であれこれと原因を考えました。

「パリに何度も車を飛ばして行ったから?」
ハイスピードでの車の振動は胎児には良くな
いそうです。

「それとも真央をしかりすぎたから?」
妻が真央をヒステリックになってしかっていて、
それが体に悪いのではないのかと。

真央が産まれたときは何の問題もなく産まれ
ただけに、私たちは余計に今回のことでなに
か理由を見つけようとしていました。



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冬の待合室で

検診から1週間がたちました。

妻は相変わらず1日中横になっています。

真央も孤独を相手に時間を過ごしていました。

あの悪夢の検診から1週間たった2月17日の夕方
6時頃、私はそろそろ仕事を終えようとしたまさに
その瞬間でした。

妻から会社の私あてに突然電話が入りました。

「お父さん(妻は私のことをそう呼ぶ)、おなかが
よく張るので病院に行った方がいいかもしれない」

「えっ、なんだって! すぐ帰る・・」

私は驚いて、机の上の書類もちらかしたままで、
そのまま家にかけつけました。

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冬の待合室で(その2)

待合室で私たちはどれくらい待ったのだろうか?

心のあせりが時間という概念をさらに大きくして
いきます。

そしてなかなか救急担当の先生が来ないなーと
待ちくたびれていると、看護婦さんが現れて診察
室へと私たちを促しました。

担当の助産婦さんは妻のおなかのはり具合を調
べたり、なにか他の検査を行ったりしていました
が詳しくは分かりませんでした。

検査の途中から廊下に出て真央と待っていた私
は壁を見ると、時計の針が既に7時半を回ってい
ることに気づきました。

実はこの日は日本からシステム支援の出張で私
の同期入社の馬場さんが来ることになっていま
した。

ちょうどサンカンタンに着く頃です。

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妻、緊急入院す・・

ともあれ、馬場さんと連絡を取らなければならないと
思い、妻が検査を受けている間、病院を抜け出して
電話をしまいた。

そして今のこちらの状況を伝え、後で夕食に迎えに
いく旨を伝えました。

電話を終え、診察室に戻ると妻の姿はそこにはあり
ませんでした。

「あれ、妻はどうしたのだろうか?」

そこにいた看護婦さんに尋ねると、妻は病室に移さ
れ、おなかの張りを抑える点滴をしているとのことで
した。

それから病室の方へ向かうと、妻はやはり点滴を受
けており、真央もその横で座っていました。

その姿を見て正常分娩までまだ3ヶ月もあるのにこ
んな状況になってしまいまた不安になりました。

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真央、明日に向かって立て!

馬場さんをホテルでピックアップして真央と3人で
中華レストランへ行き食事をしました。

なんとなくこんな出来事があった後なので暗い雰
囲気でした。

それでも馬場さんは同期で気心が知れているの
で真央も気兼ねなく連れて行けたし、気楽にそこ
で過ごせたことが救いでした。

そして私はといえばこの時は真央のことで頭がい
っぱいでした。

私が昼間の仕事をしている時、真央をどうしたら
いいのだろうか?

幼稚園が休暇中なので、プライベートのベビーシ
ッターに頼むか、それとも保育園に入れてもらおう
か、かといって、急なことなので明日はどうしようか
とあれこれ思案しました。

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3歳のお留守番

結局、次の日の2月18日は、私はいつもより遅く
9時半ごろ真央を1人家に残して会社に出かけま
した。

私 ;「お父さんはお昼に帰ってくるから、それま
でTVを見ていなさい。そうしたら午後はお母さん
のところにお見舞いに行こう」

真央;「すぐ帰ってきてくれるの? 何時?絶対帰
って来てよ」
真央が何度も同じせりふを繰り返しました。

会社に来たものの、3歳の真央を家に1人残した
ことが心配で仕事に集中できませんでした。

途中、何度か電話を入れて真央の様子を確認して
みました。

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真央の憂鬱

妻は相変わらずベッドで点滴を受けていました。

トイレにも行けず、看護婦さんを呼んでその場で
用を足すそうです。

それにしても5月17日の出産予定日(日本では
5月11日だそうですがどういう訳かフランスは、
1週間遅い)まであと3ヶ月もあります。

私達にとってそこまでたどり着くには気の遠くな
るような長い時間のように感じました。

妻はそれまでずっと点滴を続けるのだろうか?
全てが不安との戦いに思えたのでした。

それにしても何でこんなことになったのだろうか。
そんなことをまた考えてしまう・・。

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救いの女神現る!!

社長の奥様は私に尋ねました。

「家にお電話したら真央ちゃんが1人で留守番って言
うからお母さんは?って聞いたら病院にずっといるっ
て言ってましたがなにかあったのですか。」

社長の奥様は普段から妻が妊娠していることを気遣
ってくれていて時々妻に”お変わりはないですか”と
電話を入れてくれていました。

この日もたまたま電話で妻の様子を聞こうと思って
電話をしてくれたのでした。

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平穏な日々

その日から私は朝になったら真央を奥様に預け夕方
になったら仕事を終えた後、真央を引き取りに行き、
その後妻のいる病院に真央とお見舞いに行くという
日課が始まりました。

真央もその日からいきいきとしました。

なにせフランス人ばかりの誰も友達のいない保育園
に行かされるという不安が消え奥様には1日中優し
くしてもらえるのですから。

久しぶりに子供として甘えられる時間を過ごせたと思
います。

奥様にしてみたら他人の子を1日預かるのは結構気
を使って疲れたかもしれませんが・・。

でも本当に異国の地で困ったときにこのような親切は
骨身にしみてありがたいと思いました。

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待ちに待った日

2月24日、そう今日は妻のお母さんが日本から来て
くれる日なのです!

もともと出産の前あたりから来てもらうつもりでしたが、
妻が2月10日の検診でボワイエ先生に
「1日中横になっていなさい」と言われた日に日本の
お母さんの元へSOSの電話を入れていたのでした。

お母さんはパスポートを持っていなかったのでその
手続きからはじめ、ようやく今日こちらに来ることが
できるようになったのです。

飛行機にも乗ったことがなく、ましてや外国に行くなど
夢のまた夢だったお母さんが成田から12時間かけて
パリに1人で来るなんて晴天の霹靂だったでしょう。

しかしこのことによって妻の様態はともかく私たちの
生活に少しあかりがさしてきた様に感じられました。

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おばあちゃんと真央

妻は一向に退院する気配はありませんでしたが、
おばあちゃんが来てからは少しずつ全体の生活は
落ち着きを取り戻しました。

妻のたまった洗濯を洗ってくれたり、真央の面倒を
見てくれたりとおばあちゃんは日本と変わらぬペー
スでよく働いてくれます。

驚いたことに、まったく時差ボケがないそうです。
真央も幼稚園が始まりおばあちゃんが真央の毎日
の送り迎えをするようになりました。

買い物も真央と近くのスーパーでしたり、パン屋に
も行ったりしました。

こんな時は慣れた真央の方がおばあちゃんの面倒
を見ています。

おばあちゃんは階段で足を踏み外して捻挫したり、
差し歯が抜けてフランス人の歯医者に行ったりと、
めったにない経験を重ねながらフランスの生活にも
少しずつなじんでいきました。

「でもやぱり日本がいいねー」とポツリ。

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悪い予感

点滴を外してから10日ほど経った3月27日、病院に
お見舞いに行った時、
妻が私に言いました。
「ボワイエ先生が、お父さんに話したいことがあるって」

「話って何だろう?」
ちょっと不安になりました。

まさか切迫早産なんてことにはならないでほしいと願
いました。
妻も赤ちゃんも元気でいてほしい。
そんな気持ちでした。

そして翌日、会社に行って秘書からボワイエ先生に
電話で聞いてもらうことにしました。

秘書は神妙な顔をしていました・・。

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一喜一憂

翌日の3月28日、久しぶりに妻が我が家に戻り、
真央も本当にうれしそうでした。

またおばあちゃんも、やっと自分の話し相手ができて
ほっとしたみたいでした。

だってフランスに来て1ヶ月の間、毎日の話し相手は
真央だけでしたから。

家の中ではもちろん、妻は1日中横たわっていました
が、それでも妻が家にいるだけで家庭というものがこ
んなに落ち着くものかと改めて感じました。

徐々にいい方向に向かっているような気もしました。

しかしそんな幸せな気分もつかの間、退院から2日後
の3月30日に、尿道から出血が頻繁に出るようになり
気になって再び病院に行くことになったのです。

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春遠からじ

こうして妻は再び病院に入院することになりました。

院内では、すっかりこのマダム(妻)は有名になってし
まいました。

通常は出産前は2,3日入院するだけなのに、これだ
け出産前に入退院を繰り返す人はいないでしょうから。

かくしてこんな出来事にも慣れてきてしまった私達は
もうなるようにしかならないと開き直っていました。

少しずつ日が長くなって春めいた頃でしょうか。
妻の様態も分からないまま毎日が過ぎていきます。

それはちょうど2週間経った4月15日でした・・。


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退院そしてまた入院

ボワイエ先生は薬は不要と言ってくれていたものの
実際の退院のときはボワイエ先生は春休み休暇の
最中だったので、他の先生に診てもらうことになり、
その先生からは「退院後も薬はとりあえず1週間飲
むように」と言われました。

もちろんボワイエ先生から言われたことは伝えたの
ですが、念のためということらしいです。

それから妻は家でベッドで1日中横になっていまし
たが、1週間たったので4月20日から薬を飲むの
をやめました。

本当にもういつ産まれても良いという所まできたよ
うです。

そして翌日の4月21日夕方6時頃、会社の私の机
の電話が鳴りました。


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赤ちゃんの名前

妻を病院に残していく意味合いの中には、
もしかしたら出産の可能性もあるようです。

看護婦さんはもし今晩産まれそうだったら私に連絡
するからと私の電話番号を確認しました。

また診察後、看護婦さんは出産に伴う手続き書類
の準備もはじめました。

市役所への出生届は病院で全部やってくれるシス
テムのようです。

そして子供の名前欄を指して
「赤ちゃんの名前は?」と尋ねられました。
まだ産まれてもいないのにもう決めるのか・・

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