しばらくの間、休んでいてすみませんでした。
また再開します。
《まえがき》
この物語は私の妻が2人目の子供をフランス
のサンカンタン市で出産した際に起こった出
来事を綴った妻と私と真央の家族の絆を描い
た真実の愛の物語です。
《プロローグ》
今は1997年4月22日夜の10時半です。
テレビのスイッチをつけるとペルーの日本人
大使館官邸人質事件の終焉の模様が放映さ
れていました。
それはまるで長かった私たちの60日間の戦
いの終わりを告げたのと同じように。
私は1人、部屋でグラスに注いだビールを
を飲み干すとその出来事を安堵の気持ちで
振り返ったのでした・・。

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2月24日、そう今日は妻のお母さんが日本から来て
くれる日なのです!
もともと出産の前あたりから来てもらうつもりでしたが、
妻が2月10日の検診でボワイエ先生に
「1日中横になっていなさい」と言われた日に日本の
お母さんの元へSOSの電話を入れていたのでした。
お母さんはパスポートを持っていなかったのでその
手続きからはじめ、ようやく今日こちらに来ることが
できるようになったのです。
飛行機にも乗ったことがなく、ましてや外国に行くなど
夢のまた夢だったお母さんが成田から12時間かけて
パリに1人で来るなんて晴天の霹靂だったでしょう。
しかしこのことによって妻の様態はともかく私たちの
生活に少しあかりがさしてきた様に感じられました。

妻は一向に退院する気配はありませんでしたが、
おばあちゃんが来てからは少しずつ全体の生活は
落ち着きを取り戻しました。
妻のたまった洗濯を洗ってくれたり、真央の面倒を
見てくれたりとおばあちゃんは日本と変わらぬペー
スでよく働いてくれます。
驚いたことに、まったく時差ボケがないそうです。
真央も幼稚園が始まりおばあちゃんが真央の毎日
の送り迎えをするようになりました。
買い物も真央と近くのスーパーでしたり、パン屋に
も行ったりしました。
こんな時は慣れた真央の方がおばあちゃんの面倒
を見ています。
おばあちゃんは階段で足を踏み外して捻挫したり、
差し歯が抜けてフランス人の歯医者に行ったりと、
めったにない経験を重ねながらフランスの生活にも
少しずつなじんでいきました。
「でもやぱり日本がいいねー」とポツリ。

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